10月30日(木)午前10時から「軍事費削ってくらしと福祉・教育の充実を国民大運動奈良県実行委員会」が提唱する自治体キャラバンが香芝市にきて、香芝市と話し合いをもちました。市側からは鎌田副市長をはじめ関係部局が出席しました。市民側は、新日本婦人の会や平和委員会をはじめ各種団体から代表が参加しました。

 日本共産党の中井政友、池田英子両議員も話し合いに同席しました。

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by jcpkasiba | 2014-10-30 13:19 | Comments(0)


今日(10/28)は和歌山県の国賠同盟(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟 )のみなさんが香芝市に来て頂きました♪

香芝市の前進である下田村村議として日本共産党の議席を獲得した石垣スエノさんのお墓参り。

その後は、石垣スエノさんの想い出について、今井光子県会議員が語られました。「おばあちゃん」という間柄でスエノさんの初恋の相手を探しに和歌山まで行った話など、なかなか聞けない話もありました。

学習会では、国賠同盟中央常任委員国際部の岩下美佐子さんから、「21世紀を平和と人権の世紀に」~今、国賠同盟の人々と連帯して~題してバンクーバーでの生活を通して、真実の歴史を知ることの大切さを語って頂きました。

 今井県議が石垣スエノさんの想い出を語る。

今日はお忙しい中、和歌山県国賠同盟の皆さんが石垣スエノさんのお墓まいりに大勢ごさんかいただきありがとうございます。
私は奈良県議会議員の今井光子です。石垣スエノさんのことを私たちは石垣のおばちゃんと呼んできました。
私と石垣のおばちゃんとの出会いは、私が大学を出てから、奈良に来まして土庫病院にお世話になったときの事務長が石垣憲弥さんでした。石垣さんはシベリア抑留され、日本に戻ってきてから、共産党に入りこの中南和の地域で共産党を建設する活動をされ、今の健生会土庫病院の基礎を築かれた人です。
私にとっては雲の上のようなすごい存在の人でした。奥さんはどんな人だろうと思いましたが其れが7歳年上の石垣スエノさんで、下田村の時代に共産党の初の女性議員になった人だということをききました。
その後、私が北葛城郡から選挙に出るために香芝に引っ越していろいろそのたびに。選挙はよく歩かなあかんと言うお話をしてくれました。
 おばちゃんは、一九〇九(明治四二)年三月、北葛城郡下田村(現下香芝町)の上田家の六人兄妹の末っ子として生を受けられました。
 一三歳のときお父さんが亡くなられ、小学校高等科卒業と同時に高田にあった日本紡績高田工場に就職し医務室に配置されました。一七歳のとき、日本赤十字社の看護婦養成所に入学されました。日赤和歌山で5年間学んで看護師と助産師の免許をとられました。
日赤和歌山の看護師として勤務されているときのエピソードでは、呼吸困難になった施療患者対しに酸素吸入をしようと係に請求しました。ところが、「施療患者には酸素吸入はしないことになっている」と断られたため、貴女は意を決して、院長に直訴してやっと酸素をだすことが許可されたと言う話を聞きましたがここに、看護師、助産師として患者の立場にたって献身する姿がありました。この精神こそのちの夫となった石垣憲弥さんと築いてきた民医連の原点です。
このような状況のなかで「上田スエノは社会主義者や」と噂され、和歌山署の特高係が私を尾行するようになり、ついには婦長から「勧告」という形で退職をせまられました。
 日赤を退職後、文字通り苦難の道を歩まれました。
一九三二(昭和七)年、「大阪・奈良でおこなう陸軍大演習に天皇がくる」ということで阿倍野付近のアパートなどに警察の臨検があり、阿倍野署に連行されたスエノさんは「本名を言え」「誰と連絡しているか」と厳しく追及され、衣類をはぎとり、パンツ一枚にして吊り上げる、体にロープを巻きつけ引き回すなどで体も傷だらけにされました。しかし、スエノさんは、口をひらかず頑張りぬかれました。結局、拷問による傷がなおるまでということで秋から暮れにかけて約二ヶ月間、阿倍野署に留置されやっと釈放されました。
 しかし、下田に帰ったスエノさんは助産師を開業しましたが、いつも尾行つきでした。石垣スエノさんは敗戦後、一九四六(昭和二一)年四月に日本共産党に入党されました。
 そして党の要請に応えて1951年のいっせい地方選に挙で下田村の村会議員に立候補して当選され、二期務められました。一九五一(昭和二六)年二月、私は石垣憲弥と結婚し石垣スエノとなり、次の改選期から町会議員の席は夫の憲弥がついでくれることになりました。


おばちゃんによく聞かされたことは選挙に立ったときいつも尾行されていますが、下田村でおばちゃんはほとんどの子どもを取り上げたんで、前の香芝市の崎山市長さんもおばちゃんが取り上げた一人です。
おばちゃんは戸別訪問ならつかまるが赤ちゃん元気か、お乳足りてるかといって回ったらいくらでも回れるし警察はどうにもできん。とよくいっていました。

晩年一人になって私たちはおばちゃんの生活を支えるために、私は病院のソーシャルワーカーとしてヘルパー訪問看護、施設入所などのお手伝いをしました。靴をそろえて脱ぎなさいという事はよく言われました。おばちゃんは何かの時にすぐ飛びにといけないそのときに靴の向きがちがっていると遅くなるといわれていました。晩年は認知症がありましたがあるときおばちゃんはどうしても和歌山に行きたい。初恋の人がる日赤の前の印刷所の息子さんだという話を言い出し、みんなで付き添って1日お供した事がございました。食事を取った横にお墓が見えて、なくなったのかと自分で納得していました。
石垣スエノさんは、苦難に満ちた生涯を通じて看護師・助産師として、戦後は共産党員として文字通り命がけでたたかいぬかれました。地元・香芝市では‘赤い産婆さん’として親しまれ、取り上げられて人は数百名にのぼります。生活困窮者にはおしめとミルクを届けるなどヒューマニズムに富んだ人でした。地元香芝市民とってばかりでなく奈良県民が誇るべき人です。 貴女が81歳の時、1990年の湾岸戦争に直面し、次のように述べられたことがあります。

 「今また政府や自民党、それに民社、公明も一緒になって湾岸戦争に加担し海外派兵の突破口をひらこうとしています。支那事変の時もそうでした。一度出兵すると、とめどもなく大きな戦争になってしまうものです。二度と戦争を許してはなりません。」

今奈良県では陸上自衛隊の駐屯地が全国でただひとつない県であり、災害対策のためにを五條市に誘致しようと言う動きが急速に広がっています。
11月8日土には自衛隊の基地は要らないのピースデイを取り組みます。パレードとよるには山梨県の元県委員長で平和委員会の理事長をされている桜井真作さんの講演会を計画しています。
石垣スエノさん、憲弥さんの意思を引き継ぎ、戦争につながる一切の事に反対して基地のない平和な奈良県を守っていきたいと思います。本日はほんとうにありがとうございました。
             
2014年10月28日
                    奈良県議会議員 今井光子



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by jcpkasiba | 2014-10-30 13:10 | Comments(0)

 決算認定について「心の健康相談」やデマンドタクシーの実証運行について市民からお金をもらうことについて、条例化すべきか不確かな部分があり監査請求し確かめるとの決議をし閉会しました。

 市民の皆さんから請願のあった「公共交通の「実証運行」終了後も公共バスの存続をもとめる請願書は、次の諸点について適切な措置を構ずべきであると付帯決議がついて採択されました

。附帯されたのは、
1、施策として行っている公共交通バスの住民の更なる利便性向上のため、自由乗降ができる施策の実現に適切な措置を講ずること。

2、効果的な運営ができる研究に積極的に取り組むこと。3、香芝市公共交通活性化協議会は、住民の意思を尊重すること。(一部略)
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by jcpkasiba | 2014-10-01 13:40 | Comments(0)
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